2010年の4月、入学したばかりの関西大学に中退届を出しました。桜がまだ残っている時期です。合格したときは家族も喜んでいたのに、家庭の事情でどうしても働く必要ができて、通い始めて1か月も経たないうちに学生ではなくなりました。

そこから3年、解体や産業廃棄物の現場と携帯電話の製造工場で働きました。大学に戻ったのは2013年、専門学校経由です。そして2015年4月、名古屋大学経済学部の3年次に編入しました。この記事は、その5年間に何があったのかを、順番どおりに書いたものです。うまくいった話としてではなく、どこで何を選んだかの記録として読んでもらえればと思います。

直野 史明直野 史明名古屋大学 経済学部 編入

この記事を書いている直野です。ほかの記事は編入のやり方を整理したものですが、これだけは私自身の経路をそのまま書いています。

私は偏差値40程度の高校の出身で、中退してから3年間働いていた空白もあります。それでも編入はできましたし、就職活動でも大手と言われる複数の企業から内定をもらえました。出身校のレベルやブランクがあることを理由に、自分にはできないと思わないでほしいです。

この記事の要点

  • 2010年に大学を4月で中退し、3年働いてから2013年に専門学校へ。2015年に名古屋大学経済学部へ編入した
  • 編入という制度を知ったのは2013年の春。それまで選択肢として存在すら知らなかった
  • 大学編入を目指せる専門学校は、そもそも数が少ない。学校選びの時点で進路が絞られる
  • 試験の年の2月に英語が記述式からTOEICへ変更になり、そこから短期でスコアを作ることになった

2010年4月、入学したばかりの大学に中退届を出した

私が通っていたのは、卒業後に就職する人が多い高校でした。進学するとしても専門学校か、地元の私立大学というのが標準的な進路です。その中で関西大学に合格したので、高校では珍しいほうでした。

ただ、入学した年の4月に家庭の事情が変わりました。学費と生活の両方を考えたときに、大学に通い続ける選択肢が消えました。悩んだ期間は長くありません。中退届を出して、その月のうちに働き始めています。

このとき私は、最終学歴は高卒のまま、もう変えられないと思っていました。 編入という制度があることを知らなかったからです。今になって思えば、この「知らなかった」がいちばん大きな損失でした。

勉強しなくなったのは、小学5年の引っ越しからだった

関西大学に受かったと書きましたが、私は中学と高校でほとんど勉強していません。この落差には理由があります。

もともとは大阪で小学校受験をして、国立の小学校に通っていました。そのまま中学受験にも備えているような、いわゆる勉強する環境の中にいた子どもです。それが小学5年生のときに家庭の事情で姫路へ引っ越すことになり、家計も苦しくなって塾に通えなくなりました。転校先は公立の小学校です。

そこから、勉強をしなくなりました。誰かに止められたわけではなく、勉強するのが当たり前という前提が周囲から消えただけです。中学でもそのまま、高校は当時の偏差値でいえば40程度のところに入りました。

直野 史明直野 史明名古屋大学 経済学部 編入

環境が変わってから、勉強しないことに違和感がなくなりました。まわりも同じだったので、自分が何かを失っている感覚すらなかったんです。

それでも、高校の終わりにやると決めて時間をかけたら、大学受験では結果を出せました。数年ぶんの空白があっても、努力すれば取り返せる範囲だった。この経験が、後になって研究テーマにつながります。

この「環境が変わると、勉強するかどうかまで変わる」という体験が、のちに私が教育経済学を選ぶ出発点になります。当時はそんな学問があることも知りませんでした。

解体現場と工場で働いた3年間

中退してから2013年までの3年間は、解体や産業廃棄物の仕事と、携帯電話の製造工場での勤務で埋まっています。工場は長時間労働でした。

この3年について、無駄だったとは思っていません。ただ、はっきり書いておきたいことがあります。働きながら「このままでいいのか」と考える時間は、思っているより長く続きます。 1年目はまだ切り替えられます。2年目に少し慣れて、3年目には日常になります。日常になってしまうと、そこから動き出すのが、年々きつくなります。

もう一度やると決めた理由

それでも進学し直すことにしたのは、関西大学に合格できたという事実が手元に残っていたからです。中退したので学歴としては何も残っていませんが、やると決めて勉強すれば結果が出た、という経験は残っていました。

もう一度ちゃんと勉強してみたい。挑戦するなら早いほうがいい。決め手はそれだけです。劇的なきっかけがあったわけではありません。

2013年春、「編入」という制度を知った

進学し直す方法を調べている中で、2013年の春に大学編入という制度を初めて知りました。高校を出てから3年が経っていました。知ってからは早く、そのまま専門学校へ進んでいます。

編入を目指せる専門学校は、そもそも少ない

調べて分かったのは、大学編入を目指せる専門学校自体がかなり限られているということです。専門学校の多くは特定の職業に就くための課程で、大学編入を前提にしたコースを持っている学校は多くありません。編入ルートを選ぶ時点で、進学先の候補はかなり絞られます。

これは今から編入を考える人にも当てはまります。専門学校からの編入は出願資格の条件が大学ごとに決まっているので、学校選びの段階で行ける大学が変わってきます。

私が学校を選んだ基準

私が入ったのは、大学編入のコースを持つ専門学校です。選んだ基準は2つでした。編入を目指す学生の人数が多いことと、通学のアクセスがよいこと

人数を条件に入れたのは、周囲の環境が自分の勉強量を左右することを、小学5年のときに身をもって知っていたからです。同じ目標の人が多い場所にいれば、勉強するのが当たり前の状態に戻せる。アクセスは単純に、通学時間が短いほど勉強に回せる時間が増えるからです。

できごと
2010年3月 高校卒業
2010年4月 関西大学に入学、同月に中退
2010〜2013年 解体・産業廃棄物の仕事、携帯電話の製造工場で勤務
2013年春 編入という制度を知り、専門学校へ入学
試験の年の2月 英語が記述式からTOEICへ変更になる
2015年4月 名古屋大学経済学部 3年次に編入

試験の年の2月、英語が記述式からTOEICに変わった

専門学校で編入対策を進めていた途中、2月ごろに試験の変更が発表されました。英語が記述式からTOEICのスコア提出に変わったのです。

これは正直、焦りました。それまで記述式の対策として英語を勉強していたので、方向が変わります。しかもTOEICはその場で挽回できる試験ではなく、受験日と結果が出るまでの期間を逆算して動かないと間に合いません。私はそこからTOEICに切り替えて、440点から3か月で860点まで引き上げ、最終的には965点まで持っていきました。

直野 史明直野 史明名古屋大学 経済学部 編入

試験制度は、受験する年に変わることがあります。私の年は英語がまるごと別の試験に置き換わりました。

だから、志望校の要項は「去年こうだったから」で判断しないでほしいです。変更の告知が2月なら、そこから動ける時間は限られます。

編入試験の英語は、当日の筆記か外部検定スコアかで準備の仕方がまったく変わります。どちらの方式か、TOEICなら何点が目安かは編入の英語対策のほうで整理しています。3か月で何をどの順にやったかは編入のTOEICを3か月で440→860にした記録に書きました。

志望理由書に、ここまでの話は一行も書かなかった

ここまで読んでもらった話を、私は志望理由書には書いていません。

書いたのは、教育経済学と財政学が重なる領域を研究したいということ、そのテーマを学部段階で扱えるゼミがほとんど存在しないこと、名古屋大学にはそれがあること、そして入学後に何をするかです。中退の経緯も、働いていた3年間も入れていません。

ただし、この記事に書いた経験が動機の土台にあります。環境が変わったせいで勉強しなくなり、環境を作り直したら戻せた——この自分の経験を広げて考えると、「育つ環境の差は、学力や進路にどこまで影響するのか」という問いになります。調べていくうちに、就学前の学習環境や家庭環境が非認知能力を通じて、その後の学歴や収入にまで影響しているという研究があることを知りました。

そして、高齢化と人口減少が進む日本で労働生産性を上げる手がかりが、就学前の子どもの環境を整えるところにあるのではないか、と考えるようになりました。志望理由書に載せたのは、この問いと研究テーマのほうだけです。作成にはおよそ2か月かけ、専門学校の経済学が専門の先生に何度か添削してもらいました。


次に読む
大学編入の志望理由書の書き方|構成・例文の作り方と添削のコツ

2015年4月、名古屋大学経済学部へ

試験は専門科目の記述式でした。経済学・経営学・マーケティング・経済史・経営史といった科目群から選んで解答する形式で、記述が2問だったと記憶しています。ここに、事前に提出したTOEICのスコアが加わります。

出題形式も科目も年度によって変わります。私の年に英語の方式が変わったのがまさにその例なので、受験する年の募集要項を必ず確認してください。

合格して、2015年の4月に名古屋大学経済学部の3年次へ編入しました。高校を卒業してから5年が経っていました。

編入して分かった、この経路の価値

編入した年の秋、「2015年度中部経済学インターゼミ 第2回ミーティング」で、非認知能力や学習環境が経済成長に与える影響について、私が主体となって研究発表を行いました。インターゼミは複数大学のゼミが研究を持ち寄る合同発表会です。志望理由書に書いた「学びたいこと」を、そのまま研究として実行しました。

もうひとつ、就職活動で効きました。「学生時代に力を入れたこと」を聞かれて、私は勉強と答えています。ふつうは他の人と差がつきにくい答えですが、私の場合は自分の経験から編入した理由、研究テーマまでが一本につながっていたので、そこに説得力を持たせることができました。志望理由書に書かなかったはずの経緯が、ここで裏づけとして働いています。

就職活動の結果も、中退した当時には想像していなかったものになりました。大手と言われる証券会社や人材サービス企業、難関とされるベンチャーから内定をもらっています。ただ、ここで書いておきたいのは内定先そのものではなく、選考の場で見えたことのほうです。

説明会やグループディスカッションで周囲にいた学生は、私が会った範囲では、低くても関関同立やMARCHと呼ばれる大学の人たちでした。リクルーターから個別に声がかかることもありました。学歴で入口が分かれていると断定はできませんが、選考の場に並んでいる顔ぶれには、はっきりと偏りがありました。 この点は学歴フィルターは編入で越えられるのほうで、もう少し踏み込んで扱います。

中退した時点の私は、最終学歴はもう変えられないと思っていました。実際には変えられました。変えられないと思わせたのは制度ではなく、制度を知らなかったことです。

まとめ|同じ場所に立っている人へ

私の経路をもう一度並べると、2010年に大学を4月で中退、3年間の現場仕事、2013年に編入を知って専門学校へ、2015年に名古屋大学経済学部へ編入、です。特別な才能でこうなったのではなく、知らなかった選択肢を知り、環境を作り直して、時間をかけただけです。

今この記事を読んでいる人の現在地は、たぶんどこかここに重なっています。まだ辞めるかどうか迷っている段階なら辞めたいと思ったときの考え方を、すでに辞めて働いている段階なら、まずどの大学が編入を実施しているかを見てください。私の場合、いちばん遠回りだったのは働いていた3年ではなく、編入という制度を知らずにいた3年のほうでした。

この記事は、当メディアの運営者の一人である私(直野史明)が、自分の経路をそのまま書いたものです。もう一人の運営者は専門学校から神戸大学経済学部へ編入しています(運営者プロフィールはこちら)。

編入の無料相談を受け付けています

国公立の経済・経営系学部への編入を目指す方向けに、初回30分の無料相談1週間のLINE無料相談を実施しています。編入経験者が、今の状況に合わせて「何から始めればいいか」を一緒に整理します。

LINEで無料相談する